「“私の平和”というテーマで何か記事を書いてほしい」と70seeds編集部から言われたのが、今年2月のことだった。

正直、何を書いたらいいのか分からなかった。私にとっての「平和」は、十分な睡眠がとれて、明るい時間は働き、暗くなったら趣味を楽しみ、美味しいごはんを食べて、好きな人と笑い合うことができる、という、ある種“当たり前の日常”を守ることだったからだ。

その「平和観」自体はとても気に入っていた。「世界平和」を声高に叫びながら家族や自分の生活を大切にしない人たちをよく見てきたし、誠実に社会運動を行うほどのモチベーションもない私にとって、自分や自分に近しい人が幸せであるよう努め、そこから愛の連鎖を生むことが、自分にできる最大限の平和への貢献だと思っていた。

でもそこに根拠や信念なんてものはなく、その程度の熱量で持論をダラダラ書いたところで、誰かが喜ぶ記事ができるとも思えなかった。

坂口ナオ
東京都在住のフリーライター。2013年より「旅」や「ローカル」をメインテーマに、webと紙面での執筆活動を開始。2015年に編集者として企業に所属したのち、2018年に再びライターとして独立。日本各地のユニークな取り組みや伝統などの取材を手がけている。

新型ウイルスの流行で見えた、ハリボテの平和の裏側

何を書くか決めかねている間に、新型ウイルスの流行が始まった。世界が非常事態に突入し、SNSが怒りや困惑で溢れ、移動が制限され、物資が不足し、街はマスクをつけた人だらけになった。

しかし、私の暮らしはたいして変化しなかった。行けない場所や会えない人は増えたものの、自宅勤務を始めた夫と三食共にできるようになり、コーヒーを豆から挽いて飲んだり、料理をしたりする機会が増えた。近くの川辺で散歩と日光浴をし、動画配信サービスで好きな映画を楽しみ、オンラインで友人と語り合った。その暮らしは、ともすれば新型ウイルス流行前より幸福度が高いかもしれなかった。

そう、「私の平和」は守られていたのだ。しかし、新型ウイルスのせいで命を落としたり、仕事を失ったり、生活がままならなかったりする人が大勢いる中で、その状況を「平和」と呼ぶのは利己的であるとも感じていた。

でもよく考えれば、これまでだって私の目に入らないだけで、世界には苦しんでいる人が大勢いたはずだ。そんな状況を知りもせず、ただ自分の幸せを守ることだけをやり「平和に貢献している」と言う私は、彼らの目にどんな風に映るだろう。……今まで私が大切にしてきたものは、単なるエゴだったのか?

それから私は、いつも頭の片隅に、ある疑問を抱えながら過ごすことになった。

「私の平和を守るだけじゃダメなの?」

「私の平和」は、ある日突然奪われる

最初にヒントをくれたのは、映画『この世界の片隅に』だった。

この映画では、戦時下の過酷な暮らしを、知恵や工夫で前向きに生きる主人公・すずの姿が描かれる。しかし、すずがそうやって大切に育んできた日々を、戦争はある日突然、暴力的に奪っていく。

そこから見えてきたのは、社会の非常時には、一生懸命守ってきた自分の身の周りの平和なんて、簡単に壊されてしまうということだった。

とはいえ、今は戦時下ではない。戦時下ではない? 本当にそうなんだろうか。コロナ禍の今、アメリカが中国に宣戦布告して日本が協力することになるとも限らない。戦争が起きなくても、社会や経済の仕組みが破綻すれば、その余波は一市民である私の元にも届くだろう。私は私の幸せを守っているだけでは、近い将来すずのようにそれらを突然に奪われてしまうかもしれないのだ。

20世紀最大の悲劇は、幸せを求めた結果だった

次にヒントをくれたのは、NHKのドキュメンタリー番組『映像の世紀』シリーズだ。20世紀の歴史を映像で辿る番組である。特に私が興味を惹かれたのは、なぜヒトラーは人々の支持を得て国の総統となり、明らかにおかしいユダヤ人迫害や世界への侵略を誰も止められなかったのか、という点だった。

しかし番組を見終えて愕然とした。「私もヒトラーを止められない」と思ったからだ。もし私が、彼らと同じように第一次世界大戦敗北後のドイツで食べることもままならない生活を強いられていたら、一向に議論が進まない議会政治ではなく、推進力のあるひとりの独裁者に希望を見いだすだろう。

しかも実際に政治を任せた途端に暮らしがどんどん上向いていったら、迫害の様子をこの目で見るまでは、不穏な噂を聞いても「一部の極端な悪人がやってるだけだろう」と思ってしまうかもしれない(実際、連行の様子は街中で見ることがあっても、連行先でユダヤ人がどんな仕打ちを受けているかドイツ国民が見る機会はほぼなかったという)。

ドイツ敗戦後、ユダヤ人殺戮の場となった収容所を見せられたドイツ国民は「知らなかった」と涙を流したそうだ。彼らに対し、収容されていたユダヤ人が「お前たちは知っていた。見ようとしなかっただけだ」と告げたというエピソードはあまりにも胸に刺さった。

当時のドイツ国民の姿は、私と重なる。ただ自分が幸せになろうとして行動しただけ。でもその行動の結果、20世紀最大の悲劇が引き起こされた。それはなんだか、スターを一目見ようと押し合う群衆が、転んだ人を気付かぬうちに踏みつけにするのと似ていた。

声をあげない世界が「奪ってもいい」世界を作る

本当の平和を手にするためには、自分の幸せを守るだけではダメだ、ということが分かるようになってきていた。私はたぶん、何かの行動を取るべきだ。

でも、こうも思う。行動することで、むしろ短期的には損をするのではないか? 活動には自分の時間を使う必要があるし、現代では考えられない(と信じている)が、権力者から弾圧されたり、対抗勢力から迫害を受ける可能性がある。何もしなければ、もしかしたら他の誰かが変えてくれた世界にタダ乗りできるかもしれないのに。

ここで、ユダヤ人への迫害に対して行われた、ふたつの選択について紹介したい。

ひとつめは、スティーブン・スピルバーグの映画『シンドラーのリスト』で一躍有名になったドイツ人実業家、オスカー・シンドラーの選択だ。

当時シンドラーはナチス党員でもあり、派手な生活を好む日和見主義の人物だったという。しかし、ユダヤ人への不当な弾圧を知った彼は、ユダヤ人の命を守ることを選んだ。その結果、1,100人以上ものユダヤ人の命が救われた。戦後、シンドラーの事業は次々に失敗するが、かつて救ったユダヤ人たちが援助を申し出て、シンドラーの生活を救ったという。

もうひとつは、当時のユダヤ人指導者たちの選択である。

ナチス幹部からユダヤ人を収容所へ移送するよう求められたとき、一部の指導者は保身のため、または金銭や政治的な見返りのために協力することを選んだ。しかし、彼らの多くは協力むなしく収容所へ移送。生き残った者もナチス協力の容疑で告発された。ユダヤ系ドイツ人の哲学者、ハンナ・アーレントはのちに「彼らの協力がなければ、600万人もの犠牲は生まれなかった」と残している。

反ナチ運動の指導者だったドイツ人牧師、マルティン・ニーメラーの詩は、誰かのために声をあげることの大切さを訴えかけてくる。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

悲劇はいつ起こるか私たちには分からない。苦しむ誰かを放っておくということは、いずれ別の悲劇が自分に降りかかったとき、誰も助けてくれない世界を自ら進んで作っていることに等しいのかもしれない。

声をあげることに意味はあるのか?

じゃあ、声をあげるとしよう。家族や友人に語るのでもいいし、今はSNSやブログもある。でも、そんなことをして本当に何か変わるのだろうか?

そんな私の迷いを晴らしてくれたのが、映画『パブリック 図書館の奇跡』だった。

大寒波の夜、行き場を失くしたホームレスが図書館に立てこもり「俺たちには生きる権利がある」と声をあげる物語だ。この映画では、すぐに社会の仕組みが変わるとか、彼らに家が与えられるとかの分かりやすいハッピーエンドは訪れない。けれどそこには、それまで彼らの問題に興味を持たなかった人たちに共感の輪が広がっていく様子が描かれていた。

ホームレス役の人の「神は俺たちに声を与えた。それを使わないか、使うかだ。俺たちは使う」というセリフ(※記憶に基づくもの)が印象的だった。

この映画を見て感じたのは、ひとりひとりは微力でも、声を上げれば仲間が集まり、仲間が集まれば大きな社会のうねりが生まれる、ということだった。意見をクローズにしたままでは、同じ意見を持ったほかの人に存在を気付いてもらうことすらできない。

また、意見をオープンにすることで、違う意見の人との対話が生まれることもあるだろう。もし自分が偏ったモノの見方をしていたら、その対話がきっかけで意見を変えることにもつながるかもしれない。痛手は負うかもしれないが、少なくとも黙っているよりは良い方向に進むはずだ。

行動は考えから、考えは知識から、知識は問いから生まれる

冒頭でも書いた通り、私は数ヶ月前まで平和について深く考えたことなんてなかった。この文章をここまで書いてみて、自分の意識が変化したことを実感している。

その変化を生んだ最も大きな要因は、70seeds編集部からの「“私の平和”というテーマで何か記事を書いてほしい」という依頼だったと思う。

「私にとっての平和とは?」

その問いは頭の奥深くからずっと私にささやきかけ、日常のすべてを平和へのヒントに変えた。日常にちりばめられたヒントに気付くうちに「平和」というテーマへの関心は高まっていき、考えるための材料がもっとほしいと思うようになった。知りたいという欲求が生まれ、知っては考えを繰り返すうちに、自然とそこから得た考えが行動にも反映されるようになってきた。

最近は、歴史の悲劇についてや、その悲劇を繰り返さないように何ができるか、身近な人たちと語り合うことに喜びを感じるようになった。以前の私からしたら考えられないことだ。

だからもし、そんな以前の私と同じように感じている人がいたら、最後にこの問いを送りたいと思う。頭の奥深くに同居させていつも通りの日々を過ごすだけで、数ヶ月後、数年後に何かの変化を起こしてくれるかもしれない問いである。

——あなたにとっての“平和”とは?